永康街から国立歴史博物館へ

永康街(ヨンカンジェ)大好き!

この旅行記は2012年の記録です。そのまま再掲してますが、今と少し情報が異なる部分があることをご了承ください。

ホテルに荷物を置き、ざっとシャワー。さて、どこに行こうかな。まずは何かお腹に入れよう。台北の繁華街と言うと中山あたり。しかし、ここからなら台北市南の「永康街(ヨンカンジェ)が近い。私の大好きな街だ。歩いてぶらぶら行ってみることにした。

高架下の花市を眺めつつ

ホテルの正面玄関前は道路の高架で、その下が長い長い市場になっている。これは週末だけ行われる台北名物だそうで、高架のある建国南路と仁愛路のクロスする交差点から北では「建國假日玉市(ケンコクカージッ ギョクチー)」、南では「建国假日花市(ケンコクカージッ ホワスー)」が行われている。

玉市はヒスイや様々な玉(宝石)を売る場で、こちらも見たかったが南へ向かうため、花市だけひやかした。灼熱の屋外から高架下に入るなり、すっと温度が下がってかわりに強烈な湿気が来た。シンガポールの蘭園と同じ空気が漂う。熱帯ジャングルの湿気だ。

市場には花はもちろん、金魚や陶器、竹製品や漢方薬まで様々なものが売られている。自然をテーマにしている総合市場というところか。

目についたのは、やはり蘭。日本よりさぞ安いかと思ったのだが、たまたま見た小さな胡蝶蘭が2000円くらい。私は花に興味がないので相場がわからないが、たぶん安いのだろう。あとは、縁起物のミリオンバンブー。ジャスミンや柑子(キンカン)など、南国チックな植物もずらり。

美味しいものと素敵な雑貨の街

花市を抜けると、大安自然公園に出る。そこを西側へしばらく行くと、「永康街(ヨンカンジェ)」だ。

永康街は学校が近いためか若い人たちが多い。台北駅からは少し離れているが、いまどきのお洒落な服屋があったり、今どきの素敵な雑貨店がいっぱい。そして、日本でも有名な小龍包の「県泰豊(デンタイフォン)」の本店もこの近く。

狭い路地の両側にはぎっしりと店が並び、くねくねと曲がって迷路のようなムードを醸している。美味しい物もこの街には多く、一年中お客が途絶えない「永康牛肉麺(ヨンカンニュウロウミェン)」は、午後2時半だというのにやはり店内に立って待っている人が!ここは本当に美味しい。

かき氷の超有名店「永康15」が移転して、このエリアで最も人気店となっら「思幕昔(スムージー)」も、うわさ通り長蛇の列。炎天下で並んで食べるのは嫌なので、この二つはパス。比較的すいていた「度小月(ドゥシャオユエ)」の本店へ。

「度小月」で担仔麺ランチ

ここは台南の郷土料理である、担仔麺(タンツァイミェン)の専門店。台湾全土に何軒か支店もあり、桃園空港にも先日出店したばかり。担仔麺は「好記担仔麺」と「度小月」が有名で、食べ比べをする人も多いと思う。

伝統的な調理器具が見られる

担仔麺はこういう伝統的な竈で調理される。干し海老のだしが効いた小椀の麺で、がっつりというより、あれこれ料理を楽しんだ最後に軽く食べるもののようだ。

メニューは台湾語と英語。もしかしたら日本語もあったのかもしれないが、さっさと注文票に記入して(台湾では自分で書き込む)渡したので、最後まで地元民だと思われていたかもしれない。

注文したのは、やはり看板メニューの担仔麺。お値段はなんと50元(約132円)。小さいとはいえ、海老も乗ってるし一杯ずつ作るってくれてお得感ありあり。お味は見た目よりさっぱり。麺は細くてコシはあまりない。嫌いな人はパクチー抜きもオーダーできる。

せっかくなので台南の味をもう1品

サイドは「蝦巻」。これも台南の名物料理だ。海老のすり身を湯葉で巻いて、からっと揚げたもので、これはかなり美味しかった。甘酢味のソースがついてくるけど、そのままが美味しい。ビールのおつまみによさそう。ソフトドリンクを注文した事を後悔した。

これがその後悔したソフトドリンク。台湾コーラと言われるが、味はドクターペッパーみたいな「黒松沙士(ヘイソン・サーシ)」。姉妹品には可楽(コーラ)や加塩(塩が入ってる!)もあり、台湾中の人が普通に飲んでる国民飲料だ。

野菜も食べましょう…ということで、日本にはない「龍髭菜(ロンシューツァイ)」という野菜の、ごまソースあえをオーダー。この名前の漢字、日本語だとアスパラガスの意味だけど、台湾ではウリ科のつる野菜で、巻いたつるが龍のヒゲみたいに見える。味は明日葉とか、つるむらさきに近かった。さっぱり系。

「国立歴史博物館」を見学

度小月を出た後は、セブンイレブンで「遊々カード(ヨーヨーカ)」をゲット。日本で言うSuicaみたいなもので、今回の旅では、たぶんいちばん役立った。500元払うとデポジット+100元ぶんのチャージがつくが、さらに500元チャージして600元にしといた。これならガンガンMRTに乗れる。

ちょっとアクセスが不便な場所にある

とか言いながら「国立歴史博物館」にタクシーでやってきた(爆)。MRTから不便な地域が多いんだわ、台北!

「国立歴史博物館」は令和元年(2019)11月4日から令和2年(2020)7月6日まで休館中。詳しくはこちら

思いっきり中華な建物!この右側にも何らかのチケットブースがあるが、博物館だけなら中で買えと言われた。日本人だとわかっていながら中国語で(笑)それでも身振り手振りで伝わると、お互い大爆笑。とりあえず入場料30元(やっす!)払って、中へ。

「国立歴史博物館」は、1955年創設。博物館といっても、中を見た感じでは美術館に近い気がした。4階まで展示室があり、それぞれのフロアで違った催しが開催されていた。台湾の古美術が中心かと思いきや、フランス絵画の展覧会などもやっていて、バラエティ豊か。

階上からの景色が素晴らしい

3階の踊り場から見下ろした図。このあたりは都心から少し離れ、となりは植物園。緑が豊かで美しい。各階には階段横の休憩室や展望室、茶芸館など、周囲の美観地域を見渡せる施設が設けられている。

この展望室からは、広大な蓮池が見える。今は残念ながら葉だけだったが、花の季節には絶景だろう。また、最上階には英国式アフタヌーンティーを楽しめるティールームがある。マダムで満杯だったのでご遠慮したが、高級ホテルとはまた違った趣でたいへんムードがよろしかった。

立派な建物「中山紀念堂」

歴史博物館からこんどは徒歩で約15分ほど。MRT中正紀念堂駅の反対側にある「中正紀念堂」に向かう。

その途中、二・二八記念公園を通った。ここは1947年に台北で起こった「二・二八事件(にいにいはちじけん)」で亡くなった方々の慰霊をする場所だ。

「二・二八事件」とは何か

二・二八事件(中国語ではアーアーバー シージェン)は、台湾を訪れる人には知っていてほしい史実である。当時まだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との抗争で、なんと40年にわたり戒厳令が敷かれた。今も「台湾大虐殺」と呼ばれるほど、国民にとっては深い深い傷跡であり、台湾と中国の対立の核といえる。

「二・二八事件について」Wikipedia

歩いて駅前のにぎわいへ。八角や獣脂の匂いがエネルギッシュだ。暑いので街角のジューススタンドで冷たいナイチャ(ミルクティー)を買ってのどをうるおす。

中正紀念堂が見えてきた。どんなガイドブックにも載っている台北の観光名所だが、この建物が蒋介石を讃えたものだと、カメラ前でピースしている日本人観光客の何割が理解しているのか。

蒋介石は、当時台湾を統括していた日本軍を追い出し、この国に圧政をもたらした張本人で、前述の二・二八事件では台湾の人々を虐殺した司令官。国民党や外省人(当時の在台中国人)側から見れば英雄であっても、本省人(もとから台湾に住んでいた人たち)にとっては恐怖政治を行った独裁者である。

まあ、歴史的に本省側から蒋介石を見るとそんな感じだろうが、近年まで台湾の政治家や官僚は外省人に支配されていたため、教育としては「蒋介石は建国の父」というムードなのだろうと思う。日本だって核兵器を使用したアメリカを非難するような教育は行われていない。

あら、ダリの美術展があったのに

まぁ、せっかくだし入ってみよう。いきなりサルバトール・ダリがお出迎え。なんだこの、異質なインパクトは(笑)てか、見たい。え、もう夕方だから券の販売終わったの?なんやつまらん。

仕方がないので園内をうろうろ。しかしだだっ広い。竣工1980年だから、最近の建物だ。敷地面積は25万平方メートルなのだそうだ。日本統治時代の軍用地跡である。本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁などもあり、戒厳令が解除された87年以後は学生運動やストライキの集合地としても有名だ。ちなみに中正とは蒋介石の本名である。

なんだかせっかくの観光名所でしんみりして申し訳ないが、映画や小説で二・二八や文革を見たり読んだりしていると、どうも素直に蒋介石すごいねと言えない自分がいるのも事実。