遺跡の島「ゴゾ」へ渡る(後半)

これぞ巨人の塔!ジュガンティーヤ

昼からは「Ġgantija」(ジュガンティーヤ)遺跡へ。私がゴゾ島へ渡った目的はこのためといっても過言ではない。1980年、世界遺産に登録され、それに続いてマルタ島の巨石神殿群もグループとして登録された。

それは平原の中にこつ然と

日本では馴染みの薄い巨石構造物遺跡だが、考古学者や私のような遺跡好きにとっては、身が震えるほどのお宝スポット。8ユーロの料金を払って、ゲートのバーを押すのももどかしく、場内へ。といっても平原の一画を低い壁で囲ってあるだけのアバウトな構え。さすがマルタ(苦笑)

さて、ここから先はまた遺跡について熱く語るコーナーなので、タルシーン神殿と同様、興味の薄い方は着色部分の読み飛ばしをお奨めする。

好きな人だけの遺跡トークショーw

ジュガンティーヤ遺跡は、マルタ語で「巨人の塔」の意。なんと、新石器時代(紀元前3600年から2500年ごろ)に建築された巨石神殿複合体であり、マルタ共和国に数ある巨石神殿群の中で最古であるとともに、世界的にも類を見ないほど古い宗教施設である。

写真を見てもらうと、積んだ岩の隙間に、漆喰で壁面を覆っていた痕跡が残っているのがわかるだろう。ジュガンティーヤはこのような原始的な建築による、二つの神殿が隣接して構成されており、上空から見るとクローバーのような形を成していたとされている。 

不思議なのは、この頃マルタの原住民には金属器さえない時代でありながら、いかにしてこのような巨大神殿が建立されたかという事だ。 

さらには、この神殿の存在が、古くから島の住民や旅人に知られていたというミステリー。実際、発掘調査が行われるはるか以前の18世紀後半、Jean-Pierre Hoüel という学者が、現地人の話に基づいてかなり正確な平面図を描いている。その頃は土の下に埋没していた遺跡であったにも関わらずだ。  

ちなみに、マルタの遺跡は全てそうであるように、ジュガンティーヤも南東を向いている。これは宗教施設であったことから、神に捧げる何らかの意味合いを持つと考えられ、エントランスにある高さ6mの巨石には、清めの儀式が行われたと見られるくぼみが発見されている。また、神殿内部にも祭壇と思われる跡があり、動物の骨の化石が見つかっていることから、生贄を捧げる習慣があったのではと言われている。

ご清聴ありがとうございましたw

以上、ジュガンティーヤ薀蓄おわり。実際の遺跡は、広大な敷地に人気もほとんどなく、閑散としたイメージ。そのぶん、草だらけの大地に堂々とそびえる姿は、悠久の時をさかのぼり、神々しい往時の様相を見るものに強くイメージさせてくれる。ここで紀元前に人々の暮らしがあった。その確固たる証に触れ、かなりじーんときた遺跡ハンターなのであった。

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ゴゾの心臓、ヴィクトリアへ

ジュガンティーヤを出て、最後の目的地「Victoria」(ヴィクトリア)と「Citadel」(チッタデル)へ。ジュガンティーヤからは、ついそこにゴゾ大聖堂が見えるため、立ち寄りたかったがコースに入っていないようだ。せめて遠景をとズームをフル稼働させて撮影。立派なドームが目に入るだろうか。

バスが島の中央、ゴゾ島の首都であるヴィクトリアへ入ると、さすがにそこだけ繁華街のムードを帯びている。3ブロック四方程度の小さなダウンタウンを、まずは一回りしてみよう。

ヴィクトリアの街は活気にあふれて

バスターミナルほど近くに、小さな教会を取り巻く広場があり、オープンエアの市場が出ている。その近所の雑貨屋でゴゾレースの花瓶敷きを買った。10ユーロを交渉して8ユーロに。おまけに小さなキャンディもくれた。こういう血の通った買い物は、旅先での楽しみのひとつだ。

表通りには、シアターや土産物屋、貴金属を扱う店が多い。また、さきほどのレースと並んで有名なガラス工芸品や銀製品のショップも、古いライムストーンの建物の中で、現代的な彩りを放っている。

この日は特に休日というわけでもないのだが、みんなカフェやベンチで動きもしない。外国に行くと、日本人は労働に対して特殊な集団だということを、いつも再認識する。

それがいいか悪いかはさておいて、いったん郷に入れば「コッチ式」を尊重せねばなるまい。冷たい飲み物を買おうとして立ち寄った八百屋兼グローサリーショップで、呼んでも呼んでも「オーケー」と声が返ってくるだけで、店主が出てこなくても、じっと待つしかない(笑)

野菜はほとんど輸入に頼っている

ちなみに、マルタの野菜は多くがイタリアやアフリカからの輸入に頼っているそうで、あまり鮮度がよろしくないものも多い。値段は日本の市場とさほど変わらないか、少し高いくらい。

ただし、トマトは近隣の農家で生産されているせいか、安くて種類が豊富なようだ。日本では見たことがないフルーツなどもあり、味見をしてみたくなるけれど、こちらではキロ売りなので単身の旅行者には、手が出しづらい量だ。

迷路に守られた要塞都市「チッタデル」

さて、ヴィクトリアのダウンタウンの散策を終え、次はいよいよゴゾ島で最も有名なスポット、Citadel(チッタデル)へと向かうことにする。メインストリートを挟んで、丘の上まで約5分の道程だ。

本日最後の目的地となる「Citadel」(チッタデル)」。チッタデルとは「大要塞」という意味で、明日散策する予定のマルタの首都「ヴァレッタ」もここと同じく要塞の街である。

不思議の国に迷い込みそうな迷路

ゴゾのチッタデルはヴァレッタよりも規模は小さいが、小高い丘の上に複雑な迷路による都市を作り上げ、島の各所から敵が来襲した折には目印を掲げた。市民はその合図で城壁の中に避難をしたという。

地中海の主要航路の真ん中にあり、太古から幾多の侵略に遭い続けてきた、この国の人々の生きる知恵、それが要塞都市を生み出したのだ。

チッタデルはヴィクトリアの広場から、道向かいの坂を上った所にある。道があまりにつつましいので、まさかその先に要塞があるようには思えないが、しばらく上るとまずこの聖堂が見えてくる。残念ながら現在は改修工事の真っ最中で、見学はしないで帰ってきたが、内部には建立の際の予算不足を苦肉の策でカバーした、騙し絵のドーム天井がある事で知られている。

この聖堂の左手を抜けていくと、やがて忽然と大要塞チッタデルの姿が現れる。階段を上がって、いざ迷路の中へ。このライムストーン色にも目が慣れてきた。本当に「はちみつ色」という表現がふさわしい。

階段をのぼるルートが街になっている

城砦の中は、いわゆるひとつの「街」である。いたる所に現れる階段や通路、路地などで形成された複雑なメイズに、現在では土産物屋やカフェなどが店を開いている。

このチッタデルが作られたのは、中世後期と言われているが、この丘には新石器時代から人が暮らしており、その頃から避難所として機能していたらしい。

歴史書によると、これらの侵略者はゴゾの住民を奴隷に取ったため、次第に集落が防備を固め要塞に発展していった。なんと1637年までは、住民は大城塞の中で夜を過ごすことを法律で義務づけられていたという。

頂上からは敵の来襲が見渡せる

さて、ようやく頂上へ到着。ただ何もない石の広場だが、一角には大砲の発射場があり、実際に使われたのかどうかは不明だが、敵が眼下まで来たのは間違いないようだ。

眼下といえば、見渡す景色も素晴らしかった。ゴゾ島はマルタと同じく山のない島なので、はるか彼方まで見て取れる。

この後、再びバスに乗り込み、ゴゾ島の港へ。時刻は午後4時過ぎなので、出発からすでに8時間以上経過していることになる。観光の時間に制約はあるが、14ユーロのゴゾ1日ツアーは、非常に中身が濃くてお得感がある。

ディナーは残り物とパイで部屋食

再びフェリーに乗り、スリーマの街に帰り着いたのが6時過ぎ。クタクタに疲れていたが、港まで足を伸ばして土産物屋を物色。ついでに、今晩の夕食用にパスティッツィで、何か買って帰ることにした。

パスティッツィ=デリカテッセン

パスティッツィとは惣菜やパン、スイーツなどを作って売っているデリのことで、こちらの人々は気軽にひとつふたつ買っては、持ち帰ったり店の前のテーブルで食べたりしている。せっかくマルタに来たからには、観光客狙いの高いレストランでなく、こういう庶民の味が食べたい。ただし昨日のリゾットも冷蔵庫に残ったままなので、今回はミート&ポテトパイを一個だけ買って帰った。

結果は大正解。3.6ユーロで「パイにしては少し高い?」と思ったが、この大きさ。そしてリゾット(食べ残し)も日本人の一人前。あまり胃の大きくない私には、重すぎるくらいのディナーだった。くれぐれもマルタへ行く日本人の方は、食べ物を少なめにオーダーするように注意されたい。

この部屋は長期滞在用なので、ちゃんとキッチンがついている。電子レンジ、ヒーター、冷蔵庫、包丁から鍋、食器まで。本当は市場で魚や野菜を仕入れて、部屋で料理をしたかったが、最大の難点は調味料がないこと。あくまでも西洋人向けインスタントクッキング対応の設備であるらしい。マルタ名産マグロの解体ショーの夢破れたり(笑)