盛岡最終日、食べまくり遊びまくり

盛岡最終日、名残惜しや

「銀河堂」にて優雅なブレックファスト

盛岡最終日。もう荷造りは終了していたので、さくっとホテルをチェックアウトして荷物だけ預け、盛岡駅のエキナカにある「銀河堂カフェ」へ。最後まで宮沢賢治の世界感。

こちらは9時からの営業で、やや遅めのモーニングサービスを楽しむことにした。店の半分がパン屋さんスペース、半分がカフェのカウンターとイートインスペース。駅の中なので半ばオープンなスペースではあるが、落ち着いてオサレな感じだし店員さんもイケメン。女子の満足度は高いと思われる。平日朝のせいか空いていて、お客さんは私のほかに2名という贅沢さである。

モーニングサービスの内容は、好きなパン(種類は限定されている)2個とドリンク(またはスープ)で500円。なんと注文したお茶が南部鉄瓶でサーブされ気分があがる。これは申し訳ないお値段じゃなかろうか。

ちなみにプレッツェルの後ろは立派なパニーノ(パニーニは複数形なのよ)。これだけでおなか一杯になるボリュームだ。プレッツェルも非常に美味しかったが、食べきれず持って帰ることにした。もし盛岡駅近辺で朝ごはん屋さんを探している方がいたら、強くプッシュしたい。できればもう少し早く開いてくれたら最高だが、500円でこれなら文句はないだろう。

広々として心地いい「盛岡八幡宮」

最後になってしまったが、やはり土地の神様にはご挨拶をして帰るべきだということで、バスで盛岡の総鎮守である「盛岡八幡宮」へ。繁華街のやや東にあって、広大な敷地の中に大小18もの社殿がある。

行われる神事としては、「チャグチャグ馬コ」、例祭の「盛岡山車」、そして「流鏑馬(やぶさめ)神事」が有名である。

こちらの神社は規模の大きさもさることながら、なんでも願い事カモンな受け皿の広さでも人気が高い。家内安全、長寿、安産、縁結び、学業成就なんでもあれで、お札の売り場にはあらゆるテーマのグッズが並ぶ。私も実家用の家内安全お守りと清め塩を購入。ご利益ありますように。

盛岡八幡宮の創建は、康平5年(1062年)。かの有名な源頼義が、安倍氏討伐を祈願して建てられた。盛岡という地名ができる前の名前は「鳩森八幡宮」だったそうな。

たくさんある社殿の中でも、どーんと参道の奥に鎮座する本殿は、岩手の県花「桐」がデザインされているのが特徴。境内には絵馬のようにひょうたんが納めてあって、それがなんとも印象的だった。

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もちろん酒を買って帰るよ!

「あさ開酒造」にて、蔵と工場見学

盛岡八幡宮へ行ったら、必ず立ち寄ろうと思っていた「あさ開(あさびらき)」へ突撃。言わずと知れた、東北で最も大手の酒造会社である。

よくデパ地下なんかで催事販売コーナーが設けられていて、まんまと買ってしまうのだが、まあ盛岡市内の酒類販売店は見事に「あさ開」だらけである。営業力はんぱない。

その反面、日本酒居酒屋さんでは小さな蔵の酒が多く置いてあって、マニアな人はやはりそっちしか興味ないだろうな。しかしこの蔵は「見学」OKなのである。しかも、けっこういつでも大丈夫。酒蔵に入るのが趣味の私には、逃せない観光ポイントなのであった。

売店で申し込みをしよう

見学の受付は、売店のカウンターにて。お酒とつまみがダーッと並べられているショップがあるので、すぐわかるはず。私が行ったときは、先に韓国の団体さんが見学中で「少々お待ちください」とのことだったが、すぐにきれいなお姉さんがやって来られ、なんと贅沢にもマンツーマンの案内となった。

見学コースは20分くらいだった気がする。大きな蔵だけにオートメーション化され、昔ながらの工程はほんの少し。ざーっと瓶詰、ラベラーまで見て、最後にまたショップ。案内係のおねえさん、そのまま店員さんに変身。うーん、商売上手。買うしかねえっぺよw(ショップ限定の酒を2本購入)

ちなみに見学の最中、靴をぬぐ場所が2か所あるので、ややこしいブーツの方は要注意。

「あさ開」酒蔵見学について

盛岡の街で、文化の薫りを楽しむ

立派です。旧岩手銀行「赤レンガ館」

次の目的地への途中、「岩手銀行赤レンガ館」を撮影。

この建物は明治44年に、盛岡銀行の本店として建てられたもの。昭和11年に現在の岩手銀行(旧岩手殖産銀行)の本店となった。その後は岩手銀行本店が新社屋に移転したため、中ノ橋支店として盛岡のランドマークとなっていたが、現在は銀行の営業を終了し、歴史的建造物として一般公開されている。

設計は東京駅と同じ、辰野・葛西建築設計事務所によるもの。当時の西洋への憧れが反映された、モダンなデザインは今も目に新鮮。

穴場!「石川啄木 新婚の家」

石川啄木と言えば、宮沢賢治と並んで岩手を代表する文学人。彼は盛岡の出身で、豊かな才能に恵まれながらも、漂泊の中で貧困と病のため亡くなった。そんな啄木ではあるが、幼馴染である節子さんとの純愛を貫き、身分差を乗り越え結婚をした。その新婚時代、わずか3週間を過ごしたのがこの家である。

玄関を入ると、すぐにお二人の写真。彼らは13歳で出会い、短歌を通じて懇意になった。

やがて節子さんは学校を休んだり、友人宅に泊まると嘘をついて啄木の下宿に通うようになり、身分の高かった節子さんの家族によって一度は仲が引き裂かれた。

しかし節子さんが別離のショックで自害するやもと心配した姉がとりなし、渋々ながら認められることに。そんな愛を育ててようやく結婚の運びになったにも関わらず、当時上京して文学で身を立てようとしていた啄木がやらかした。

なんと結婚式の直前、啄木は旅先から新居ではなく友人宅に向かってしまい、式に間に合わなかったため花嫁さんひとりぼっちの結婚式となったのだ。ところが、やはり詩人であった新妻「吾れはあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候」、要するにアタシ信じて待つわと歌ったというから、よほど啄木のことを好きだったのだろう。

残念ながら結婚生活は長くは続かず、啄木は短い生涯を終えるが、そのあとを追うように翌年節子さんも亡くなった。ともに享年26歳。ここを訪ねなければ知らなかった、啄木夫婦の歴史に「昔は昔で、いろいろあったのね」と考えさせられた。

ちなみにこちら、入場無料。受付も監視員もなく、留守宅にしのびこむような背徳感があるw

ザ・賢治ワールド「光原社」でお茶

せっかくなので、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した「光原社」へ。現在は民芸品を扱う店になっているけど、正面左側の通路を進むと、中庭が素敵な喫茶店になっている。

平日の昼間だったけど、小さな店内は満席。おチビさんんとママ友さんたちの会、常連とおぼしき年配の方々、国際カップル、そしてお一人様の私。古めかしいインテリアがいい雰囲気で、混んでなければすごくゆったり時が過ぎそうな、そんな喫茶店であった。

最後は再び「盛岡冷麺」を決める!

全国的に有名な「ぴょんぴょん舎」へ

大好物の冷麺。もういちど盛岡にいるうち味わっておこうと、駅近くの「ぴょんぴょん舎」にやってきた。盛岡冷麺を全国的に有名にしたのって、この店じゃないのかな。カジュアルな店名とはうらはらに、ゴージャスなお店の二階に案内され、おもむろにメニューを開く。あれまー、ここは冷麺その他、たくさんメニューがあるわねぇ~

麺だけでもこんなに!温麺も野菜たっぷりで美味しいそうな。

 

セットにしようか迷ったけど、セットの麺のサイズが小さ目ではなく普通盛りだと聞いて断念。老人の胃には無理、でも隣のテーブルのほっそい女の人がプルコギ丼セットいってるしw

シンプルに冷麺単品、辛み「別」で

結局、スタンダードな冷麺にした。麺の量はなかなかのもの。辛さは別辛で。キムチの量は、先日の盛樓閣の半分もないが、まあこれが普通の分量だろう。麺はやや細めかな。スープがちょっと甘くて独特。店によってかなり違う。

ちなみに駅や空港でお土産用のぴょんぴょん舎冷麺が売ってあるけど、あれはかなり麺の量が少ない。お店で食べる2/3いや、半分?スープの味もややマイルドな気がした。やはり店で食べるにこしたことはない。

空港で最後に「銀河高原ビール」

ちょうど大阪で地震があった最中の旅で、帰りの交通もマヒするわ飛行機の時刻も乱れるわで、心配しながら花巻空港に着いたけど、空港職員さんの暖かさに癒された。

「大阪のご自宅はどちらですか?モノレール止まってますよね」と心配していただき、「こちらも震災の時は大変だったので、よその話じゃない」と。さらに席が空いてるからと、3列シートの真ん中独り占めに変更してくれた。ありがとうございます、優しくしてもらったので頑張って帰って片付けるわ~!

最後の最後に待ち時間が長かったので、食堂で飛行機を眺めながら「銀河高原ビール」を。人が優しくて、お酒が美味しくて、いいところだったな~岩手県。また東北の旅がしたい。今度は雪景色もいいかな。夢は膨らむのであった♡